映画「Diner」を観て、カウンセリングに行こうと思った話。2019.07.14
「くっそぅ、ニナミカに泣かされるなんて!」
観終わった私の最初の心の中はこれだった。
あれ?私はなんで「Diner」を観に行ったんだっけ?
私は……そうだ、私はHey! Say! JUMPの伊野尾くんが好きで、その伊野尾くんが蜷川実花さんに写真を撮ってもらっていたり、JUMPとしても雑誌の表紙やカレンダーを撮ってもらっていたりで色々お世話になっていて、伊野尾くん自身が「Diner、観に行きます!」と言っていたから、おぉ、そうか、伊野尾くんが観るなら私も観たい、伊野尾くんの目に映る物で私も観ることが可能な物はできる限り観たい、というヲタク丸出しな理由から、観ることにしたんだった。
蜷川実花さんの写真や映画などの鮮やかさ、艶やかさはなんとなく知っていたのだが、申し訳ないがとっつきずらそうで、今まで触れることができずにいた。
だからまぁ、内容について行けず置いてきぼり食らっても、伊野尾くんが観た物と同じ物を観られればいいや、という割り切った考え方で観に行った。
※以下、ネタバレ注意です。
そしたらどうだろうか。
冒頭の玉城ティナさん演じるカナコのモノローグでグッと心を掴まれてしまった。
私は母親に捨てられていないし、端から見れば平々凡々に生きてきた女に過ぎない。
でも、自分としては、今までの人生、挫折もあったし、コンプレックスもあったし、親への不満もあったし、人に傷つけられたこともいっぱいあった。
そんな私の中のあれこれが、カナコの
「誰も信じられなくなった。誰も信じられなくなったら、誰も私を信じてくれなくなった。誰にも信じてもらえなくなったら、自分を信じられなくなった。ーー(中略)ーー居場所がない。私は、透明人間みたいな存在になった(←ニュアンス)」
っていうモノローグに重なって、「わかる!超わかる!!」って共感しまくって、思わずウルっときてしまった。
あっぶねー、泣いちゃうところだった。でもアレでしょ、この後常人には理解不能なびっくりトンデモ展開が待ってるんでしょ。そう思っていたのに。
確かに、びっくりトンデモ展開は待っていたんだけど、
あれ?なんか話についていけるぞ?
わかるー、カナコの「本当の私はこんなんじゃない。ここではないどこかへ行きたい。そんなところないってわかっているけど」ってモノローグからの、「ここに行かなきゃ!」って煌びやかな世界に惹かれちゃう気持ちわかるー。
そしてそこからの、煌びやかな世界に憧れてしまった故に身を滅ぼすような狂った世界に堕ちて行ってしまうのis 悲劇。
キャラクターの背景や心理描写を過不足なく表現し、観てる側を話にグイグイと引っ張る。
いやいや、でもきっと、バッドエンドもしくはモヤモヤした終わり方なんでしょ。映像美と勢いと雰囲気で誤魔化して、解釈の仕方は各々にお任せします、みたいな感じなんでしょ。
……違ったよ。
ボンベロ(藤原竜也)「ちゃんと自分と向き合うんだ。今お前が逃げているものは、逃げれば逃げるほど、お前を苦しめる(←ニュアンス)」
みたいなのが、まるで自分に言われているようで、涙が止まらなかった。
私は、上で述べたような諸々の悩みを長年抱えていたせいで、25歳ぐらいの頃に人生がどうにも立ち行かなくなり、その原因が自分の心にあるような気がして、心療内科の門を叩いたことがある。1年ちょっとカウンセリングを受けて、今まで言わずに我慢してきたことや、本当はつらかったけど自分に嘘をついてつらくないふりをしていたことなどと向き合って、「今までよく我慢したね。つらかったね」と自分を慰め、ありのままの自分を受け入れることで立ち直った。のだが……
時々やっぱり、過去に囚われてしまい、今がうまくいかないことがある。
娯楽に頼って適当にガス抜きしたり、妥協することでなんとかやってきたものの、それにも限界があり、「そろそろもう一回、カウンセリングに行こうかな」と思っていた。
そんな折、ボンベロにあんなことを言われたもんだから、「わかった。向き合うわ」って二つ返事で引き受けた。カウンセリング行こう。
作中でカナコはやりたいことを見つけ、実現することができた。あんな経験すりゃ、肝据わってなんでもできるわ。私はあんな経験したくないけど、とは思うけど、強い信念を持つことは大事だなって思った。
まさかニナミカの映画を観て、泣いて、そうだ、カウンセリング行って自分とちゃんと向き合おう、やりたいことも探してみよう、と思うなんて、思ってもいなかった。
でも、私はずっと誰かに、もう一度自分と向き合うよう、背中を押してもらいたかったような気がする。
「Diner」は、出会うべくして出会った映画だったんだ。
蜷川実花さん、ありがとう。
そして、「Diner」を観るきっかけをくれた伊野尾慧さん、ありがとう。
そして、伊野尾慧さんを好きになることができた私の感性、ありがとう。笑
本当に観てよかった。
「ボヘミアン・ラプソディ」がジャニヲタの心にめちゃくちゃ刺さった話
「Queenって、キムタクのドラマ「プライド」の主題歌に曲が使われてたバンドでしょ?あと『ウィー・ウィル・ロック・ユー』が有名だよね?」
私のQueenに対する印象はその程度だった。あとは、ボーカルのフレディ・マーキュリーがエイズで亡くなったことはぼんやり知ってたかな、ぐらい。
先に言っておきますが、この記事はQueenについて語るのでもなく、映画について語るのでもなく、アイドルについて語っています。
私が「ボヘミアン・ラプソディ」を観に行ったのは、母親がこの映画を観に行ったという話を聞いたことがきっかけだった。「私たち世代には懐かしかったよ」という感想に、あー、そうなんだねー。一度ぐらい観てみてもいいかもしんない。そう思った。そんな折、Twitter上でジャニヲタのアカウントの方が「Queenの曲を知らない人はいないよね。誰が観ても盛り上がる!」というようなツイートをしているのを見かけた。あぁ、ジャニヲタでも、というかQueenのファンや世代じゃなくても、それなりに楽しめるんだな。まぁ母も楽しかったと言ってたし、観に行ってみるか。そう思った。
……結果、なんだあの超絶素晴らしい作品!早朝からの仕事終わりに眠眠打破飲んで観に行った甲斐があったわ!ありすぎたわ!
私の住んでいる街は都会ではないので、平日18:30の映画館は人もまばら。ましてやQueenの映画を観に来るんだから40代から60代らしき人生の諸先輩方ばかりだった。そんな中、居酒屋で年齢確認されてた頃が懐かしい、むしろ久しぶりにされてみたい、みたいな世代の私がおじゃましますよ、みたいな感じで一人、席に着いた。
私ダメだ、こういう“エンターテイメントの世界に生きる人の光と影”みたいな内容ダメだ。抉られる。そういう内容見ちゃうと、私はすぐアイドルのこと考えちゃうのね?あー、自担もこういうつらい思いしながらも頑張ってるのかなー、とか。だからこの作品では、フレディを自担に、Queenというバンドを自担グループに置き換えて観ちゃったなぁ。
以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
フレディが「バンドは家族だ」とか言うと、「あ〜、『グループは家族みたいなもんだから』って言ってた絶対エースいたなー」とか思っちゃったり。
売れれば売れるほど関わる人間の数が増えていって、身動きが取れなくなっていったり、忙殺されて活動を純粋に楽しめなくなっていったり。
大切な人との時間を過ごせなくなって孤独な時間が増えていったり、その孤独を埋めるため、金に物を言わせてパーティーとか開いて人を集めて騒いでみるけど余計に孤独感が強まったり。
寄ってくるのは自分のことを金儲け道具としか思ってない人たちばかりで、それでも一人は寂しいからその人たちに必要とされようと必死に働いたり。
フレディがバンドのメンバーに対して「お前らはいい。お前らには家族がいる。妻も子どももいる。だが俺はどうだ?」と言っているシーンを観て、あぁ、そうだよね、どんなスターだって、独りはさみしいよね。家族が欲しくなるよね。大切な人と一緒にいたいよね。って、はっとさせられた。自担もいつか、年齢を重ねた時、もしまだ結婚してなかったら、そんな風に思う時が来るのかな。そう思うと、胸がぎゅっと締め付けられた。
アイドルは恋愛についてひどく不自由を被り、バレたら怒られる職業だ。ファンからも、事務所からも。なんでだよ、俺がプライベートで誰と恋愛しようが俺の勝手だろ。それを禁止するとか人権侵害もいいとこだろ。そんな思いを飲み込みながら、今日もアイドルは笑顔を振りまいて輝いているのかもしれない。
アイドルの恋愛に関する是非は、いつも議論が絶えず、結論が出ていない。だから、これは完全に私の個人的な意見なんだけどね。そりゃあ恋愛をめちゃくちゃオープンにされたら、「ちょ、配慮して!隠して!夢見させて!」とは思うけど、「最低!プロ意識低い!裏切られた!金返せ!」とは思わないのね。それよりも私は、自担がフレディのように孤独に苛まれているほうがよっぽど嫌だ。
作中で、フレディが男とか女とか関係なく愛した女性・メアリーに「私、妊娠したの」と言われた時の絶望たるや、どれほどのものだったことか……。
テレビでワイドショーをつければ「女優の◯◯さんが結婚しました/妊娠しました」とかやってるけど、「あ、この女優さん、××くんの元カノだ」とか思う時もあるわけですよ。そういう時のアイドルの気持ちを思うと、もうやるせないというか……。いや私がやるせなくなっても全く意味ないんですけど。でも思っちゃうんですよ。俺だって状況が許せばこいつと結婚したかったよとか思ってんのかな、とか考えちゃうんですよ。
いろんな意見があると思うけど、私はやっぱり、自分の好きな人には、幸せになってほしい。たとえ私がその人に個人的な幸せを与えることができなくても。その人がたくさんのファンから受け取る幸せの100万分の1を、私があげられれば、それでいい。
あーー、もう、私の好きな人だけは、幸せ全部乗せみたいな人生送ってくれないかな!アイドルとしてもキラキラ輝いて、たくさんのファンから愛されて、信頼できるメンバー・スタッフに囲まれて、自由やプライバシーがあって、大切な人と一緒になることができて、心身ともに健康で、長生きして、等価交換の原則を無視した幸せを手にしてほしいなぁ!
でも、現実にはそんなこと、難しいよね。だから、私がせめてもの願いとして思ったのは、「恋愛してもいい。派手な遊びに興じる時があってもいい。でも、心だけは壊さないで」これに尽きた。
そんなことを思いながら観ていた映画も、どんどん話は進んでいき、チャリティーイベント「ライブ・エイド」に出演することになったQueen。本番一週間前の練習中に、フレディはメンバーにエイズのことを告げる。それでもフレディは「悲劇の主人公になるつもりはない」と言い、メンバーもその意向に沿う。「飲みに行こう」というフレディとメンバーたち。……どんな飲み会になったんだよーー!バカ騒ぎなの?空騒ぎなの?悲しみに押しつぶされないようにあえて騒ぎ倒したの?それともいたって普段どおりを演じたの?はたまた「今日だけは、いいよな……」みたいな感じで泣き濡れたの?
その真実は教えてくれないニクい演出のまま、シーンはライブ本番へ。
大観衆の中、最高のパフォーマンスをするQueen、そしてフレディ。メンバー以外誰にもエイズのことは打ち明けていない中、「俺は死にたくない」と歌い上げる……。
私の大好きなアイドルも、死が迫っている状況とは違うかもしれないけど、体調が悪かったり、つらいことがあったり、スキャンダルが露見したり、身内に不幸があったりしても、ステージに立って全力でパフォーマンスしてくれている時がきっとあるのだろう。そう思うと、今この瞬間、自担が歌い踊る姿を見られることは、この上なく尊いことなんだなと思う。
そんなわけで、映画の後半(メアリーの妊娠が発覚したあたり)からはもう涙が止まらなかった。え?お前Queen世代じゃないよね?これそんな泣く映画?って周りの人からは思われてたかもしれない。でも私からしたら、こんなに泣ける映画はないよねって感じだった。
以上が、私がこの映画を観て抱いた感想である。必ずしもすべてのジャニヲタが、私のような感想を抱くとは限らないけど、この気持ちをどこかに吐き出さずにはいられなかった。
私はアイドルが好きだ。
アイドルを好きになることができた自分を褒めたいとさえ思う。私の感性、よくやった!いいセンスしてるな!って。だって、アイドルを好きにならなければ知らなかった感情や価値観や生き方がたくさんある。知らなきゃ知らないで、生きていけただろうとは思うけど、でも知れた今は本当にラッキーだなと思う。
むしろ、まだ知らない人は知ったほうがいいのにな、とも思う。けど、教えられてどうにかなるもんでもないしな。恋とアイドル沼は落ちる物だから。
卒業や引退は女性アイドルだけの物と思われていた昨今、男性アイドルも時代を一巡したのか、将来を見据えて退所・引退するニュースが増えてきている。それを考えると、現場の一つひとつを大切に、噛み締めて味わいたいし、精一杯の愛で自担を応援していきたいと思う。
私がこんなところで、アイドルに対する激重な想いを綴っても意味がないのかもしれないけど、願わくば、自担が心から笑う姿を一生見続けていたいと切に思う。